ホテルグランフェニックス奥志賀ができるまで
《田島和彦自伝》

13. クロスタースという町

30日の航海を終えて船がフランスのマルセイユの港に着き、世話になった岡田さんとも別れてクロスタースへ。これからは慣れない英語を操り、すべてをひとりで乗り切っていかなければならない。8個も携えてきた荷物をいかにひとりで持ってクロスタースまでたどり着くか……最初の課題に悪戦苦闘することから、私のヨーロッパでの5年間が幕を開けようとしていた。

ヘンスリー社はスイス東部のグラウビュンデン州、クロスタースという街にあって、「ダボス会議」で知られるダボスの街とは隣合わせだ。北にはトーマス・マンが“魔の山”と形容したマドリーザホルンがそびえて、オーストリアとの国境を成し、冬はスキーリゾートとして世界中から人が訪れる。スイスのリゾートといえばサンモリッツやツェルマットが名高いが、ここクロスタースは美しい自然のなかに木造のシャレー(スイス風のログハウス)が建つ、素朴な山里の雰囲気が色濃く残っていて、西部のグシュタードと並びスノッブな観光地を嫌うセレブたちに好まれていた。

ジャン=ポール・ベルモンドなどスターが好んで滞在したほか、当時はデボラ・カーが住んでいたし、『悲しみよこんにちは』のフランソワーズ・サガン、パリ・オペラ座の指揮者といった文化人も多かった。チャールズ皇太子やアン王女ら英王室の人々が、冬の休暇の滞在先にしていることでも有名だ。

スキーシーズン以外はとても静かな町で、9、10、11月などは本当に寂しい。辛い苦しい時期だった。その苦しさと向き合うために、なけなしのお金をはたいて買ったレコードがシューマンのチェロ協奏曲。この音を聴いてほしい人には、届かないはるかな距離だった。空っ風が吹き、落ち葉が舞って、山肌に描かれた雪のラインが次第に下へと降りてくる。ところが冬の12、1、2、3月には世界中から人が来て一気にインターナショナルな雰囲気に変わり、大変な人口になる。なにしろ小さな町にディスコが15ほども現れるのだ。