ホテルグランフェニックス奥志賀ができるまで
《田島和彦自伝》

24. 「若さ」を担保に代表取締役に

売却を阻止するには、父から私自身が株を買い取る必要があった。

そこで取引のあった伊藤忠や東レ、伊勢丹に相談に乗ってもらった。個人的に力になってくれたのが、東京美装興業の社長・八木祐四郎さんだった。八木さんは全日本スキー連盟の役員でノルディックチームの監督であり、64年、スイス在住時代の私がインスブルックオリンピックの選手村に現地役員として招かれた際に面識を得ていた。その時に「将来何か困ったことがあったら相談に乗るよ」と言われていたのだ。

訪ねて行って事情を話すと、「私も協力しよう」と株の買収に乗ってくれた。ヘンスリーの時と同様、八木さんのお手伝いをしたのが縁でつかんだ運だ。働きぶりに好感をもってもらったとはいえ、“原点”となった小学校4年の時以来、本当に私は人との出会いに恵まれていると思う。

売却の話が公になったら信用問題に関わるので、とにかくすべては秘密裡に運び、社員にすら何も言わなかった。苦労したのは、父がメインバンクに担保として差し入れていた土地を引き上げてしまったことだ。代わりに差し入れる財産など私にはなかった。そんな状態で、担保を入れないなら融資を返済しろと言われたら、たちまち立ち行かなくなってしまう。

専務として積み上げてきた仕事の実績はあったが、まだ32歳だ。メインバンクからは「あなたが今、一番信用されなければいけないのはお父上である。そのお父上が担保を引くというのでは、銀行としては何を信じるべきか迷ってしまう」と言われた。交渉の場では、私が思うフェニックスの将来像とポテンシャリティについて言葉を尽くして説明した。

最終的には、若さと情熱を買ってもらって担保は不要ということになった。

銀行とは本来、企業や人の可能性に投資して育てるのが役割だ。昨今は確実に元のとれる融資しか行われなくなっているが、まだこの時には、そういう本来の意味での素晴らしいバンカーが多くいたのだと今にして思う。